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素人目に見ると走ってる車両が31年前と大して変わってないの草
冒頭の名古屋駅の雰囲気がとても好き。各駅停車の2両編成から急行用クロスシート車、団体専用列車に汎用特急列車、豪華特急列車の8両編成まで、さらには新聞輸送とバラエティに富んでいて見ていて何時までも飽きないですし。ひょっとしたら荷物電車も来ていたのかなぁ。大阪線なら昭和末期まで(鮮魚列車とは別に毎日)荷物電車も上本町まで来ているのを目にしていますが…昔、改札外の名鉄連絡通路が迷路のように曲がりくねり細くて天井も低く利用者が少なく空いていて、ちょっとした抜け道になっていました。また壁に水槽が埋め込まれて魚が泳いでいましたけれど、この動画を撮影した頃は水槽は撤去されて通路だけが残っていた頃かもしれませんね。あと5番線も長くて、今は待合室になっている所まで伸びていて10両編成の停車位置表示がありました。少なくとも昭和60年頃にはまだ残っていました。もっとも21m級の10両編成は無理で10100系を含んだ10両編成用の名残だなと思いましたけれど。
近鉄にも車番1111の『ポッキー車両』があったとは見ると嬉しくなりますね✨通勤車両はまだ健在の車両が多いですね!
奈良線とかでは、車番1234も走っていますよ!
この頃の近鉄名古屋発の昼間急行は11、31、51分発でした。今は01、21、41分発ですね。
蟹江を通過してた頃の急行ですね!
桃園駅に急行が停まる日が来るとは思わなかった。
平成14年頃まで名古屋~弥富、急行はノンストップでしたね。
@@kbt3273 H15年蟹江急行停車駅昇格
高校大学時代7年間、通学で近鉄電車利用していました。社会人になり車通勤している今となっては懐かしいです。
0:19 ゾロ目。電照式の側面や名古屋発の平田町行きが懐かしい。。
懐かしいですね。名古屋駅名物の夕刊積み込みや午後から出る鳥羽行き急行、そして通風器の3連の1480系や2470系も多かったですからね。2400系は大阪線所属の2610系と組んで名古屋線にも入っていましたからね。名古屋線は発車時の電気弁やTcの渡り板上げも特徴でしたね。
ホームの中程にあるシューターから夕刊が次々と滑り落ちてくるのを見てると面白かったですね😄角型の標識灯ですが、通常黄色なのが白っぽい色のもいました。この映像の中にいるはずなんですが、違いがわかりませんね😓
自分が大学生で通学に利用していた頃。普通列車のみの停車駅が当時は最寄りで乗れる系列は限られていましたが、1480系とか1600系とか2470系とか懐かしいですね。夏は冷房+扇風機で涼しかったなぁ。稀に2107Fや2680系が普通列車に入っていたこともあり、VVVF2連の普通列車は殆どなかった時代でした。
5:30懐かしい5両の急行ですね。
名古屋発平田町行き普通なんてあったんですか😵僕が知ってる名古屋発平田町行きは急行で1610系+増結の3両編成や2470系とかしか見たことないですね🤫もち角型種別灯でした
懐かしいです8:23 運転士は戸閉めの確認をしなくても良かった時代ですね
「平田町」「鳥羽」…急行の行き先が懐かしい!
鳥羽行き急行はずいぶん減ってしまいました・・・駅掲出時刻表での急行の行先を「鳥羽」と表記するのは近鉄の意地かな?
1480系や2470系がよく写ってますね。かつて大阪線に在籍していたので私にとっては懐かしくて身近な存在でした。そして平成に入って名古屋線にトレードされて引退までずっと名古屋線でした。あと大阪線所属の2400系が写っていたけど私もこの当時名古屋線の方面に出向いた時に日中に2610系と併結して走行しているのを見かけたことがあるのですがもしかして朝に片道一本だけ運転されていた名張発名古屋行き急行から繋がる運用でしょうか?
そうかもわかりませんね。最近まで大阪線車両の名古屋線運用がありましたが、今ではなくなってしまいましたね。
どの車両もはだけ幌が付いてる。この頃はまだはだけ幌が多かったのだろうか?
近鉄2400系 名古屋線入線。
ほとんど変わらないようなでも 方向幕 英文字入ってない
まだ更新を受けてない車両は英文字が入ってないですね。逆に更新済みの古い車両は英文字入りの方向幕になっています。標識灯が角型なのと、塗り分けが違うのを除けば、今とそんなに変わりませんね😅
👍😀
2502とか信貴山線だったかな
1111より看板が気になった…
素人目に見ると走ってる車両が31年前と大して変わってないの草
冒頭の名古屋駅の雰囲気がとても好き。
各駅停車の2両編成から急行用クロスシート車、団体専用列車に汎用特急列車、豪華特急列車の8両編成まで、さらには新聞輸送とバラエティに富んでいて見ていて何時までも飽きないですし。ひょっとしたら荷物電車も来ていたのかなぁ。
大阪線なら昭和末期まで(鮮魚列車とは別に毎日)荷物電車も上本町まで来ているのを目にしていますが…
昔、改札外の名鉄連絡通路が迷路のように曲がりくねり細くて天井も低く利用者が少なく空いていて、ちょっとした抜け道になっていました。また壁に水槽が埋め込まれて魚が泳いでいましたけれど、この動画を撮影した頃は水槽は撤去されて通路だけが残っていた頃かもしれませんね。
あと5番線も長くて、今は待合室になっている所まで伸びていて10両編成の停車位置表示がありました。
少なくとも昭和60年頃にはまだ残っていました。
もっとも21m級の10両編成は無理で10100系を含んだ10両編成用の名残だなと思いましたけれど。
近鉄にも車番1111の『ポッキー車両』が
あったとは見ると嬉しくなりますね✨
通勤車両はまだ健在の車両が多いですね!
奈良線とかでは、車番1234も走っていますよ!
この頃の近鉄名古屋発の昼間急行は11、31、51分発でした。
今は01、21、41分発ですね。
蟹江を通過してた頃の急行ですね!
桃園駅に急行が停まる日が来るとは思わなかった。
平成14年頃まで名古屋~弥富、急行はノンストップでしたね。
@@kbt3273 H15年蟹江急行停車駅昇格
高校大学時代7年間、通学で近鉄電車利用していました。
社会人になり車通勤している今となっては懐かしいです。
0:19 ゾロ目。
電照式の側面や名古屋発の平田町行きが懐かしい。。
懐かしいですね。名古屋駅名物の夕刊積み込みや午後から出る鳥羽行き急行、そして通風器の3連の1480系や2470系も多かったですからね。2400系は大阪線所属の2610系と組んで名古屋線にも入っていましたからね。
名古屋線は発車時の電気弁やTcの渡り板上げも特徴でしたね。
ホームの中程にあるシューターから夕刊が次々と滑り落ちてくるのを見てると面白かったですね😄角型の標識灯ですが、通常黄色なのが白っぽい色のもいました。この映像の中にいるはずなんですが、違いがわかりませんね😓
自分が大学生で通学に利用していた頃。普通列車のみの停車駅が当時は最寄りで乗れる系列は限られていましたが、1480系とか1600系とか2470系とか懐かしいですね。夏は冷房+扇風機で涼しかったなぁ。
稀に2107Fや2680系が普通列車に入っていたこともあり、VVVF2連の普通列車は殆どなかった時代でした。
5:30
懐かしい5両の急行ですね。
名古屋発平田町行き普通なんてあったんですか😵僕が知ってる名古屋発平田町行きは急行で1610系+増結の3両編成や2470系とかしか見たことないですね🤫もち角型種別灯でした
懐かしいです
8:23 運転士は戸閉めの確認をしなくても良かった時代ですね
「平田町」「鳥羽」…急行の行き先が懐かしい!
鳥羽行き急行はずいぶん減ってしまいました・・・駅掲出時刻表での急行の行先を「鳥羽」と表記するのは近鉄の意地かな?
1480系や2470系がよく写ってますね。かつて大阪線に在籍していたので私にとっては懐かしくて身近な存在でした。そして平成に入って名古屋線にトレードされて引退までずっと名古屋線でした。あと大阪線所属の2400系が写っていたけど私もこの当時名古屋線の方面に出向いた時に日中に2610系と併結して走行しているのを見かけたことがあるのですがもしかして朝に片道一本だけ運転されていた名張発名古屋行き急行から繋がる運用でしょうか?
そうかもわかりませんね。最近まで大阪線車両の名古屋線運用がありましたが、今ではなくなってしまいましたね。
どの車両もはだけ幌が付いてる。
この頃はまだはだけ幌が多かったのだろうか?
近鉄2400系 名古屋線入線。
ほとんど変わらないような
でも 方向幕 英文字入ってない
まだ更新を受けてない車両は英文字が入ってないですね。逆に更新済みの古い車両は英文字入りの方向幕になっています。
標識灯が角型なのと、塗り分けが違うのを除けば、今とそんなに変わりませんね😅
👍😀
2502とか信貴山線だったかな
1111より看板が気になった…